今では小説を読むこともかなり少なくなったのですが、学生の頃は国語の時間に様々な作品に触れました。
昔、現国の授業で芥川龍之介の「羅生門」が教科書に載っていたことを覚えています。
最後に読んだのも昔の話なので、あらためて内容を検索してみたところ、
既に著作権が切れている作品なのでインターネット上で無料で読むことが出来ました。
作中では、羅生門の上で主人公の下人が老婆と出会いますが、
老婆は生きるために仕方なく、女の死体から髪を抜いてかつらを作ろうとしていました。
死体の女は、生前は生きるために仕方なく蛇を魚と偽って売っていた、
だからこの女から髪を抜いても許してくれるだろうと老婆が言うと、
その話を聞いた下人もまた、こうしなければ自分も餓死するんだと言って老婆から追いはぎをします。
授業内容はほぼ忘れてしまったのですが、
自分だったら強盗になるか、それとも餓死するか、どっちを選ぶ?などと話したような気がします。
私は文学に全く詳しくないので作品内容の解説についても調べてみましたが、
「羅生門」は人間の利己主義(エゴイズム)について表現された作品だそうです。
生きるための悪という人間の利己主義を克明に描いている。
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エゴと言う言葉は巷でもたびたび耳にします。エゴとは何か?ということは、考え始めると難しそうですが、
実はとてもシンプルな答えを教えていただきました。
日浦先生の先生は、エゴを一言で表すと、「生存欲求」であると説明されたそうです。
生きたいという思いは、世間的にはあって当然、否定されるべきではないこととされていると思います。
私も昔は生きたいという思いは良いものだというイメージがありましたが、
それは身体と心が自分だという思い込みがあったからだと今では理解しています。
本当の自分であるプルシャは生死を超越したものです。
そして生きたいという思いはプルシャではなく、成りすましのマインドの思いだと教えていただいてからは、
そのイメージも変わりました。
教科書で羅生門を読んだ当時は、生きたいと思うことはとにかく正しいことだと思っていました。
それを疑うこともなかったのですが、
それはまさにエゴの生存欲求なのだということを学ばせていただきました。